日記

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山里亮太の大140 感想

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7月19日、なんばグランド花月へ「山里亮太の大140~あの時も僕は大阪へ向かった~」を観に行きました。

 

チケットは購入できていなかったのですが、譲ってくださる方がいらっしゃったため幸運にも行けることに。ありがたい、こんな普通に見に行けてよいのか。地元にいたころは考えられなかった。。

生であの山里亮太さんの話を聞けるなんて、夢が一つ叶ったと言っても過言ではない。

大変なこともたくさんあるけど、関西に出てきてよかった…。

 

ほんとに面白くて楽しくて素晴らしくて、山里さんの喋りは一言で言うともはや芸術でした。

約2時間40分。

内容については、NGK扉を開けた瞬間にすべて忘れる魔法にかかってしまったので(このセリフに長いこと憧れていたんだよ!毎年ツイッターで皆さんがこのセリフをつぶやいているのがめちゃくちゃ羨ましかった!)、詳細を書くことはできないのですが…。

 

内容が書けないとなると感想を書くのが難しいですが、とにかく山里さんがすごかったということだけ書き残しておきたい。

 

NGKの収容人数がネットでは出てこなかったので座席表の画像をもとに席数を数えてみたところ、2階席も合わせて858人収容できるようです。満席で、当日は立ち見券も販売されていた。

ということは、山里さんは約860人のお客さんを相手に一人で約2時間40分話していたことになる。

私は2階席から見ていたので、ステージとの距離がむちゃくちゃ近いというわけではなかったのに、山里さんの喋りを聞いているとなぜか1対1で会話をしているような不思議な感覚になった。それくらい彼の話術に引き込まれた。あまりにぐいっと引き込まれて、まるで個人同士で喋っているかのような感覚に陥り、山里さんの喋るエピソードを聞いて笑うだけにとどまらず、大きく首を縦に振ってうなずいたり、小声ではあるけれど普通に相槌が口から漏れ出てしまったりと身体が勝手に反応する場面があって焦った。でも周囲にも結構そういう方々がいらっしゃったので、これは彼の話術が生んだ現象だと解釈した。

 

唐突ですが、先日発売された山里さんの本「天才はあきらめた」の巻末にオードリー若林さんの解説が載っており、そこにこんな文がある。

 

2017年8月。彼の単独トークライブが行われる後楽園ホールに足を運んだ。

トークをしながらリング上をのたうち回り、ロープを掴みながら怒りをぶちまける彼の姿を見ていて気づいたことがある。

彼は何も隠さないのである。

日々の仕事や生活で負った傷を、彼は隠さずに見せる。

格好いいところだけじゃなく、耳を塞ぎたくなるような情けない話やみっともない姿を見せてくれる。

そういう血まみれになりながら闘っている姿を、ファンの皆さんは信頼しているのだろう。

そういう人間は信用される。

あんなにリングの上で喋るのが似合う芸人は、他にいない。

その姿は、デスマッチレスラーのようであった。

 

 

この日のNGKのステージにリングは設置されていないけれど、ライブ中私はこの文を思い出していた。

(「天才はあきらめた」の本文はもちろんのこと、この若林さんの解説もめちゃくちゃ素晴らしいのでどうか読んでください)

続けて引用する。

 

ライブを見て本当悔しかった。

一つは、彼の尽きない怨念のパワー。

あんなに素敵なご両親に愛されて育ったというのに、あの世の中への怨念はどこから来るのだ。

無法地帯のスラムで育っていないと辻褄があわない。

ムカつく共演者、街のカップル、SNS上のイタい人。

それらを、毒牙にかけるパワーは衰える気配がない。

その分野でも勝てないから、ぼくはゴルフを始めたりキューバに行ったりランドクルーザーに乗ったりしていることに山里は気づいているのか?

そして、それよりももっとぼくが山里亮太のライブを見て悔しかったことがある。

トークの内容も、相変わらずの語彙力と知識量ももちろん嫉妬の対象だったが、何より「傷を隠さない」その生き様を見せつけられたのが悔しかった。

ぼくはプライドが高いから、傷をさらけ出すことができない。

 

 

ああ…抜き出したのは一部だけど素晴らしすぎる若林さんの解説文…。

もうこの文があれば私なんぞがいちいち個人の感想を書く必要も無いほど、山里さんのライブの魅力を説明するうえであまりに的を得ている名文…!!

山里さんほどの知名度があり、メディアに出るお仕事をしている人が、言ってしまえば接点があるわけでもない私たち一般人の前で怒りや傷をさらけ出して喋るという行為は、簡単にできることではないと思う。もちろん、ただただ感情をありのまま吐き出すのではなくて、きっちりと笑いに昇華させて披露してくれる。そんな山里さんに惹かれ、山里さんを信頼し、山里さんを愛しているお客さんたちが集まったイベントである140だからこそ、一番初めに書いた魔法が効果を発揮するんだなと身をもって感じた。

 

そして私も不思議に思っていたけれど、山里さんのあの尽きない怨念パワーはどこからやってくるんだろう。

もちろん、腹が立ったり傷ついたりすることはどんなに年を重ねても起こる。しかし、山里さんのように芸能界の良い位置に登り詰めて結果も出してたくさんの人から認められていれば、嫌な出来事に遭遇して一時的に怒ることはあっても、信頼しているスタッフさんや仲の良い芸人さんたちとそのエピソードを分かち合ったり、おいしいものを食べたり、趣味に興じたりしているとそのうち「まあ俺結果出してるし」と思えてマイナスの感情もマシになっていきそうなものだと一般人の私は勝手にイメージしてしまう。もちろん怒りが完全に消えることはなくても、気にならない程度の温度のものになるんじゃないかな、なんて。

 

突然自分の話を混ぜるけど、私もこれまで理不尽な現実にたびたび怒り、傷つき、何度会社が燃えることを願ったかわからないし、腹が立つ人をいつか一人ずつぶん殴るために格闘技を習わなくてはならないと思い立って近所の道場を調べたりした。けど、昔に比べると怒りや憎しみを持続する力は弱まってきている気がする。というか、疲れるから諦める方向に自然と切り替わった。怒ってどうにかなったこともないし感情が波立ってる間は自分もしんどいし、もう何にも抵抗せず諦めたほうが楽だと思うようになった。

 

20歳前後の頃は、マイナスの感情をノートに書き綴っていたこともあった。しかし、年々その感情と向き合うのが辛くなり、やめてしまった。書くために嫌な出来事を思い出す時間は気持ちの良い時間ではないし、反省したり対策を考えることにも結構な労力を要する。こんなことするより、現実から目を背けられ気分転換になる物事のほうに気持ちが向いていった。山里さんのようにマイナスの感情をうまくガソリンに変えてものすごい努力を継続し、何かを成し遂げていくことは私にはできない。難しすぎる。

山里さんの存在はあまりにも眩しい。

 

見ないふりをしてなかったことにすることもできる感情に今でも向き合い続け、その感情をガソリンに変え、芸を磨き、恨みを笑いに昇華し、傷をさらけ出すこともためらわず進化し続けていく山里亮太という人はどこまですごい人なんだ…と、NGKのステージで山里さんが巧みに言葉を操る姿を観ながら、圧倒された。

こんなことを言うのはおこがましいけど、なんて信頼できる人なんだ。 

 

すべての演目が終わり、グッズのTシャツに着替えた山里さんが最後の挨拶をしに舞台に出てきて、丁寧にお礼を述べ、舞台からはける間際にサラッと言った一言。

「あ、もしも買った本とかにサインしてほしいとか写真撮りたいって方いらっしゃったら、僕あとでそのへんをフラフラするようにするので、声かけてくださーい!」

 

……かっこよすぎるだろ!!

何にも言わなくたってかなりの人数が出待ちするだろうから対応大変だろうに!!

しかもはけ際にサラッと言ったというのがよけいにかっこいい。(ちょろいファン)

私は体力が残ってなかったのでライブ終了後すぐ帰りましたが、結局約100人くらいのお客さんが待ってくれていた、と後日不毛な議論でおっしゃっていました。

 

とにかく良いものを見せていただいた。

最近、人間ってすごいなと思う体験が立て続けに起こっていて、恐怖すら感じる。

尊敬の念が湧きすぎて、ライブ以降山里さんをテレビで見ても気軽に笑えなくなってきてしまった。(良い意味で)

また見れますように。